自分を変えるには、こういった前提が
必要ではないでしょうか?
対人関係などのトラブルで起こったことの
すべての責任は、自分にもあると。
たとえば、明らかに上司や同僚などに不条理なことを
言われとき、一瞬こう考えてしまいます。
私が絶対に正しくて、相手が絶対に間違っている。
かなり一方的に不条理なことを言われてしまうと
誰でも一瞬は、ムカついてしまうものです。
その相手が明らかに全面的に間違っていると感じるものです。
しかし実際にそうでしょうか?
相手がよほどひどい人間なら別ですが、そうでない場合
もしかしたら自分にも非があるかもしれないと考えてみては
いかがでしょう?
結構そういう場合も多いものです。
もしかしたら知らず知らず自分がその人を傷つける何かを言ったのかもしれません。
人間関係のトラブルにおいて100対0ということは、ほとんどないのではないでしょうか?
普通に理知的な人ならここは理解できるところでしょう。
しかし世の中には、自分の言っていることが絶対正しく
相手は絶対に間違っていると勘違いをして長い間それに気づかず
生きている場合も多いのです。
こういったタイプの人たちは、往々にしてこう考えてます。
私がこうなってしまったのは、あの人のせいだ。あの人の一言で人生が狂ってしまった!!
親のせいで人生が狂ってしまった!!
こういった人たちを犠牲者意識を抱えた人たちと言います。
誰かがあなたをひどく傷つけたとしても
その言葉を受け入れ、鵜呑みにし、長い間その人のことを
意識し続けたのは、実は自分自身なのです。
受け入れた自分の責任なのです。
その場で受け入れないという選択肢もありました。
またその記憶を長い間保持しないという選択肢もあります。
どちらの選択も自分自身でできることです。
この自己責任という感覚がまるでないというと
とんでもない、独りよがりの信念を身に着けてしまいます。
それは、強い怒りを生み出します。
相手のことを絶対許せない、一生許さないと感じてしまいます。
これで犠牲者意識は強化されます。
しまいには、周りはみんな馬鹿ばかりという
間違った思い込みを保持するようになります。
これでは、自分を変えるどころか一生を棒に振ってしまいかねません。
全く幸福を感じることができず、一生を送りかねません。
怒りっぽい人、常に怒りの感情をあらわにする人
こういった人たちは、犠牲者意識の中に自分の人生を置いている可能性があります。
人は本来、誰かの犠牲者で生き続けることはできません。
これではまるで奴隷としての人生を歩むことのなってしまいます。
もしあなたにどうしても絶対に許せない人がいるとしたら
犠牲者意識のとりこになっている可能性があります。
ぴっぴ